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松林寺設立について
豊田市の松林寺第24世光照上人は、戦後諸般の事情により、寺の留守職を老僧に委ね、昭和26年一家4人(父、母、長男、次男)で法友を尋ねて名古屋市港区の地に赴いた。一般の住居の一部を道場(支坊)として、豊田市の松林寺より伝わる「一光三尊仏」をお内仏に迎えて布教活動に勤しんだ。当初は思いの外檀信徒増えず苦労があった。幸い住職が特技であった書道を生かし、「習字塾」で生計を補っていた。塾の子ども達の教化活動にも努め、毎年12月には「筆供養」を兼ね「報恩講」を勤修していた。この甲斐があって徐々にではあったが檀信徒が増え、今の寺院の基盤作りに多大の貢献をされた。
平成3年に父親(光照)が病を患い、豊田市の寺へ戻り余生を送り、平成6年に還浄された。そこで長男の善照が、豊田市の松林寺第25世の住職となった。この後、支坊を松林寺の衆徒である次男の春美が後を引き継いだ。
丁度この時期に前後して、名古屋市港区にあった高田教会(名称)のお寺の住職が病気で倒れられ、その後廃寺となった。そこで、この教会の主な檀信徒を支坊が受け継ぐことになった。
暫くして、支坊の檀信徒より「今の支坊では、手狭で報恩講等の行事に連れ添って参詣しづらいし、いつでも気楽にお参り出来るお寺を造ってほしい。」との機運が高まった。長年、支坊寺族の願望でもあり檀信徒の助力をいただき、今や真宗興隆の時、仏祖崇敬並びに法儀相続の責務から、また、聞法の場としての存在性から建立の運びとなった。
内陣は、高田教会より譲り受けた宮殿、須弥壇及び前卓に漆を塗り、金箔を押し荘厳とした。また、ご本尊の阿弥陀如来は、新たに仏師の内山師に作成いただいたものである。